2011年08月25日
東北へ
前回書いたように23・24日と東北宮城県へ行ってきました。
のっけからこんな写真ですが

父親の実家がある(あった)のは石巻市から牡鹿半島を海沿いに小一時間走った静かな入江の集落です。
もちろん今は御多分に洩もれずこのとおり。
父の実家の建物は姿こそ残っていましたが解体処分の順番待ち。

震災前は家が建ち並び入江は見えなかったのですが
今は一人ぽつんと海を見ているようです。
既にこの地に残る人も無いとのこと、
もくもくと処理作業をする人と
時々巡回してくる警察の方々。

言葉にならないとはこのことでしょう。
本当はもっともっと早く訪れなくてはならなかったのでしょう。
この情景を見ると、<がんばろう!>の言葉がとても空しく感じます。
「なにをどうがんばったらいいの」という叔母の声に
返す言葉が見つかりません。
でも被災した方々はお互い<がんばろう!>と声を掛け合いながら
じっとその場に立っているのです。

そうなんです。
これから元気になって行くには彼らの力が必要です。
そして私たちもいつまでもこのことを気持ちの中に置いて
彼らを本気で応援していかなくては。
のっけからこんな写真ですが
父親の実家がある(あった)のは石巻市から牡鹿半島を海沿いに小一時間走った静かな入江の集落です。
もちろん今は御多分に洩もれずこのとおり。
父の実家の建物は姿こそ残っていましたが解体処分の順番待ち。
震災前は家が建ち並び入江は見えなかったのですが
今は一人ぽつんと海を見ているようです。
既にこの地に残る人も無いとのこと、
もくもくと処理作業をする人と
時々巡回してくる警察の方々。
言葉にならないとはこのことでしょう。
本当はもっともっと早く訪れなくてはならなかったのでしょう。
この情景を見ると、<がんばろう!>の言葉がとても空しく感じます。
「なにをどうがんばったらいいの」という叔母の声に
返す言葉が見つかりません。
でも被災した方々はお互い<がんばろう!>と声を掛け合いながら
じっとその場に立っているのです。

そうなんです。
これから元気になって行くには彼らの力が必要です。
そして私たちもいつまでもこのことを気持ちの中に置いて
彼らを本気で応援していかなくては。
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石巻市の中心街はそれでも片付けが進んでいましたが
一歩はずれると荒野の中に1階が柱だけになった家がポツポツと残り
学校のグランドには校舎より高く積まれた瓦礫。
繁華街の交差点の信号は止まったままで
警察官が手信号で車を指示しているところばかり。
この石巻よりも大変なところは沢山あるのです。
まだまだです。本当、まだまだです。
石巻市の中心街はそれでも片付けが進んでいましたが
一歩はずれると荒野の中に1階が柱だけになった家がポツポツと残り
学校のグランドには校舎より高く積まれた瓦礫。
繁華街の交差点の信号は止まったままで
警察官が手信号で車を指示しているところばかり。
この石巻よりも大変なところは沢山あるのです。
まだまだです。本当、まだまだです。
Posted by ひさ父 at 10:07│Comments(0)
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